永代橋
2019.03.27 その他
4月は新しい期の始まりですね。
私の息子も新入社員としてデビューです。
自分もその頃を想い出して初心に帰ろうと思います。
皆さんの想い出は如何でしょう。
今回は、昔から馴染みのある「永代橋」について述べたいと思います。
私は、生まれも育ちも千葉の浦安で、高校生の時から「東西線」にて東京方面に電車通学してましたので、必ず通過するのが永代橋です。(地下鉄ですので橋は渡りませんが)
車で出かける時も、葛西橋を渡って門前仲町を超えると永代橋を渡り、やっと日本橋付近に来たなと感じます。
そう言う私にとって馴染みのある永代橋ですが、以前、門前仲町にある「富岡八幡宮」のお祭りに参加した時に、神輿を担いで渡る事になるのでその由来を調べてみた事があります。
永代橋の始まりは、1698年、第五代将軍徳川綱吉の50才記念の誕生祝いに作られ、その名も徳川が「永く代々に渡り繁栄する」から付けられた第一の説もあるようです。
勿論、当時の材質は木材、何度か富岡八幡宮の祭礼で群衆が押し寄せ落下した事もあるそうです。
その後、時を経て徳川吉宗の時代には、橋が無くなりそうになった事もあるようですが、不便になると、住民の反発に合い継続され、明治の初めには道路に架かる橋としては初めての「鉄橋」として架け替えられたそうです。
その後、関東大震災等を経て、再度架け替えが行われました。
その永代橋、赤穂浪士が泉岳寺へ向かう時に渡った橋としても有名ですね。
中央区と江東区を分断する隅田川に掛かっている「永代橋」ですが、大昔は中央区から江東区へ渡った付近が「永代島」と呼ばれていたそうで、その地名に因み永代橋と付けられたと言う第二の説もあるようです。
ここでついでに「永代島=現在の門前仲町」に関してですが、これも遡る事、第三代将軍徳川家光の時代、江戸の人口が急速に増え始めゴミの問題に悩まされていたようで、そこで、当時は船が運搬の中心ですから、船で永代島にゴミを投棄していたそうですが、色んな面で不便な事もあり橋が架かったのが始まりです。
今回は永代橋に関して述べましたが、皆さんも自分の馴染みのある場所等、昔はどうだったのか、どの様な由来でそうなったのか調べてみるのも良いと思います。
因みに最後に一つ、永代橋の一つ隣に「清住橋」がありますが、この橋は1986年に流行したTVドラマ「男女七人夏物語」で、「さんまとしのぶ」が何度も行き来した橋として有名です。
その当時は、カップルのデートコースでした。